2016年1月12日
旧約を読んでいると、殲滅はつぎつぎと数限りなく出てくる。
ヤハウェを信じないものはいずれ滅ぼされる、しかも徹底的に滅ぼされる。
これでは人類がいなくなるのではと心配にさえなる。
おそらく、これが一神教というものなのだろう。こちらの神だけが正しいとなれば他は異端となり、争いは永続するほかない。
だが私などは、どの神を信じようが救われることにしてほしい、いや、信じなくても救いはあることにしてほしいと思っている。
そればかりか、どんな罪業を犯しても救われてほしい。
これでは、虫がよすぎるか。
たぶん。
一切のしばりがなくなったら、好き勝手に生きる人は必ず出てきて、世の中は乱れに乱れるだろう。
それではどうするか。解決法はあるか。
ここを親鸞は思索し、悩み、さらに思索したと思う。旧約と『教行信証』を少しずつ読み進めるようになって、そういう問題が見えるようになった。