2016年1月3日
昨年暮れから『二宮冬鳥全歌集』を読みはじめた。
この歌人の、短歌のわくにはまらない歌風には、以前から関心をいだいていたが、やっと全貌を探索する機会を持つことになった。
「歌にならぬやうに歌にならぬやうにと作るうた一つの悲劇の如く思へど」
『黄眠集』に、こういう歌がある。
「「晴れてゆくしぐれに傘をたたむ汝」ああそのつぎに常識くるな」
こういうのもある。
『青嚢集」』(せいのうしゅう)「巻末記」には歌壇の封建制への批判が記されている。昭和21年に書いているのだから、戦前・戦中への反省と抵抗がある。
けれど「歌にならぬやう」にするための最も明確な選択肢は、短歌を否定することだし、実際離脱した人は少なからずいた。
二宮の場合は離脱でなく内部批判である。だから作りつづけ、伝統性とはひと味もふた味もちがう、個性的な歌を量産した。
「ああそのつぎに常識くるな」と、なによりも自らを戒めながら作りつづけた。