2015年12月30日
岩手の山村を歩いていたとき、何度も草木塔に出会った。
立派な石材に「草木塔」と刻まれ、山や峠の頂に建てられていた。
はじめのころ「これなに?」と疑問に思うだけだったが、やがて「草木国土悉皆成仏」によること、林業の人たちが草木の鎮魂のために建てるのだと知るようになった。
句誌「小熊座」2016年1月号に、山形の米沢へ吟行会に行ったときのことを、渡辺誠一郎と蘇武啓子が書いている。
草木塔は米沢から置賜地方にかけて32基もあり、山林伐採や木流しに関わった人たちの自然物への畏れ、感謝、祈りがこめられているのだという。
根底にあるのは、命あるものはすべて平等であるとする精神風土だと私は考えてきた。
季語や歳時記の豊かさはこの風土があってこそ、生成されてきた。
だのに、平等を一方的に破棄した人間が、根底をくつがえす事態を引き起こした。
2011年3月11日のこと。