2015年11月30日
小池光の『石川啄木の百首』を読んでいるうちに、渋民のことを思い出した。
水沢高校時代、部活は文学部に所属。夏季には研修旅行をする。
その年は渋民行だ。顧問の先生2人と部員20人が出発。東北線を北上し、渋民駅で降り、さらに歩いて渋民村へ。
宿泊は渋民小学校の予定。
ところが着いたら、泊めることができないと返事を出したはずだがと、学校の先生。いや受け取っていないと顧問が押し問答(あとでわかったが返信はがきをたのまれた生徒が投函を忘れていた!)。
やむなし、急きょ隣の宝徳寺と交渉し、泊めてもらうことになった。
啄木の使った部屋もそのまま保存されている。
夜になり、自分たちは毛布を敷いて本堂に雑魚寝。
翌朝、境内に出ておどろいた、眼前に巨大な岩手山がそびえ、彫の深い襞を刻みつつ裾野をいっぱいに広げている。
少年啄木は、この風景を見ながら育った。感極まる瞬間だった。
月: 2015年11月
【往還集135】1 「お孫さんをそこに」
2015年11月22日
「往還集」をはじめたのは96号。
以来12年たつ。
最初は字数制限なしだったが、しだいに題もふくめて400字に限定。
折々のことを自由に綴るつもりが、とかく重い話題に傾きがち。
ここいらで心機一転、明るい「往還集」にしようではないかと思い立つ。
が、やっぱりそうもいかない。
「駱駝の瘤」10号に五十嵐進が「農をつづけながら2015秋」を掲載している。五十嵐氏は福島県喜多方の人。「東京新聞」に登場した環境リスク学者中西準子の発言を読んで、投書したという。
中西は、なるべく早く帰れるような条件と根拠を探って数値を示している。それに対して「先生、ご自分のお孫さんをそこに住まわせられますか」と問う。
科学者も政治家も数値は示す。
だが自分も家族も孫も共に住むとはいわない。
つまりことばに身体性がない。
ここを欠落させた言説は、住民をけっして納得させないということだ。
【往還集134】50 操作
2015年11月22日
パリでテロが勃発、多数の犠牲者が出た。パリは娘が6年間すごし、私自身も滞在たことがあるから、親しみも深い。
それだけにつらい事件で、連日世界的事件として報じられるのももっともだと思っていた。
だがフランスがシリアを空爆し、多数の死傷者を出したことは、ほとんど報じられなかったし、国際的事件となることもなかった。
テロ国家への攻撃は、一般民を巻き添えにする不運があったとしても正義にかわりなく、逆に報復は悪であるーーそういう図式を承認するようにいつの間にか操作されているのではないか。
日本をかえりみるなら、目下緊迫しているのは沖縄辺野古である。
強制的に調査を開始する当局と阻止しようとする人々が、一触即発の状態にある。
だのにメディア、とりわけ公共放送たるNHKはほんの少ししかとりあげない。
この不自然さ。
だれかがどこかで操作しているーと考えるほかない。
【往還集134】49 イチョウ


2015年11月17日
蕃山(ばんざん)の麓に弥勒寺がある。境内には樹齢350年のイチョウの樹がそびえる。黄葉の季節になると、それはそれはみごと。金色の落葉が大布となって地面を覆い、風もないのになおひらひらと舞い落ちる。
この時期仙台のいたるところがイチョウで彩られる。
今日は弥勒寺を出発点に、ぐるりと市街をめぐって、イチョウ見物をしてきた。
西公園
晩翠通り
河北新報社前
東北大学片平構内
評定河原
どこもかしこも完璧なまでの黄金色。常套的表現ながら「油絵のよう」の比喩しか浮かばない。
仙台で最大のイチョウといえば銀杏町にある乳銀杏だ。樹齢1200年、高さ32メートル、周囲8メートルの巨大さ。
近くに住んでいたときは何度も見に行った。太い幹から垂れさがる気根はまるで鍾乳石のよう。
あまりのグロテスクさにたじたじとなり長居はできなかった。
興味のある方は「乳銀杏」で検索してみてください。
【往還集134】48 「強霜」
2015年11月11日
以前に自分の歌集『強霜』の題について書いた。季語には「つよしも」がある、「こはじも」は辞典にも出てこない、けれど自分としては「こはじも」でなければならないのだと。
ところが木俣修『愛染無限』を読んでいたら、「強霜」が出てきた。
「身の違和にひとり悩みてゐるあさけ朝明こわ強じも霜をいふ妻のこゑする」
ルビは「こわじも」だが強い霜の意味で使っている。
これを知らなかったわが不明を、今更ではあるが恥じねばならない。
ついでにこの歌集でいい歌だなあと思った1首をあげておく。
「雪のみちゆづりあひつつ歩むさま雪国びとはこころひくくして」
これは自分にも経験がある。雪が降ると人々は譲り合いながら歩く。
「こころひくくして」とは、雪国人の本質をつかんでいると感服しノートにも写しとった。
だが写す段階で「ひくくして」ではなく「ひろくして」だと気づいた。
このような読み誤りは1度ならず2度も3度もある。
【往還集134】47 調理実習
2015年11月9日
高齢者向けの「これからも元気でいるための食事~講話と実習~」に参加してきた。小学校の調理室が会場。
調理に得手でない男性が多いだろうと予想して行ったら、女性が3分の2、しかも会場は満員。
講話が終わって実習に入ったらいきなり〈戦争〉である。
主食、主菜、副菜、汁物、デザートと種類が盛りだくさん。
1テーブルに4~6人が集まり、次々と作っていく。
できあがったところで会食。初対面の人たちと食べ合うのもまた格別。
けれど自分の求めているのとはちょっとちがう。
調理師がレシピを作成するのはひとつの創造行為だが、それに従ってわいわい作り合うのはほとんどスポーツだ。
私の望むのはレシピをなぞるのでなく、食材や調味など調理の基本を知ること。基本をもとにしてレシピを創作し調理すること。
編み物のときも、プロの設計は1度なぞっただけで終了、2度目からは、自分で図面を描いた。
【往還集134】46 一番の悲しみ


2015年11月7日
あと数か月で5年になるというのに、海に立つとやっぱり胸がしめつけられる。
荒浜は護岸工事がさらに進み、広漠たる一帯も整備されていく。
閖上港には小型漁船が並び、漁業復活の兆しも見える。
閖上には「閖上の記憶」という小さな資料館がある。そこに立ち寄って確認したら、当日小学校には1000人ほどが避難したという。児童は約420人。学校を休んだ1人だけが犠牲になり、あとは全員助かった。
保育所には50人いたが小学校に避難して全員助かった。
こういうことを〈美談〉として語ると、必ずそうでなかった学校を傷つける、だから大きな声ではいいにくいと土地の人はいっていた。
いきなり未経験のことが生じたとき、助かるか助からないかはほとんど運だ。
だのに生きる側に回されたものはあまりにも人間的な場面に回帰する。
ある人は攻撃的になり、ある人は口ごもる。この混沌が今の一番の悲しみだ。
【往還集134】45 〈指導〉
2015年11月6日
仙台市の中学校でいじめ自殺事件が起きた。はじめ遺族は公表しないでほしいといい、学校も要望にそって自殺はなかったことにしてきた。
ところが加害側が反省した様子もみせないので、遺族は態度を変えた。
そこからすったもんだがはじまり、結局公表に踏み切ることになった。
この間の被害側、加害側、学校、市教委の心労ははかり知れない。
そこへ義家文科省副大臣が乗り込んできて異例の〈指導〉をはじめた。昨日のこと。教育長に苦言を呈し仙台市長まで批判する。
アドバイスではない、苦言である。
これまで有効な発言もしなかったくせに、副大臣という地位を得たとたん、いきなり〈指導〉する行為に出る。
まさに異例。
現政権はNHK番組内容に口を出したが、今度は学校内部にまで手を出す気だ。
その結果事態が好転するならともかく、現場はますます萎縮する。おかしなことがじわりじわりとはじまっている。
【往還集134】44 頭を無にしないと
2015年11月2日
中村淳彦『女子大生風俗嬢』は、貧困時代の学生の現状をレポートしている。男性はブラックバイトに巻き込まれ、女性は風俗業へどんどん入り込んでいると。
高校でカウンセラーをしていた自分は高校生段階での諸問題に対面していたから、それ自体はおどろきでない。
だがどの道にも人間観察のたしかな人はいるものだと感服した。格安デリヘルを経営している人の言。
「好きな人じゃない不特定多数の男に、服を脱いで性的サービスを提供するって、やっぱり頭を無にしないとできないことですよ。うちにはいろいろな女の子がいる。シングルマザーで生活できる金額を稼げる普通の仕事がどうしてもなくて、元旦那さんの支援も受けられず、止むをえず風俗しているとか。」
この「頭を無にしないとできない」がヒタッと胸に貼りつく。
風俗のみならず、頭を無にして辛うじて切り抜けている人はあっちにもこっちにもいる。
【往還集134】43 見えない所
2015年11月1日
旭化成の子会社旭化成建材がマンションの基礎工事を手抜き。この事件で目下大騒ぎだ。同じ例が他からも出てくる。
高層建築の全国検査をやったら、ぞくぞく発覚するのではないか。
高層だから全国ニュースになるが、個人住宅なら数えきれないほどあるだろう。
現に私は大工さんが「建売なんか、見えない所は手抜きが多いんだ、20年もつかどうかあぶねえもんだよ」というのを聞いたことがある。
それを防ぐのが監督者の役だが、いそがしさにかまけて点検が甘くなる。甘さにもたれかかって手をぬく。
このことを逆にいえば、見えない所に手をぬかない人、仕事こそが信頼にあたいするということだ。
話は少しずれるが、海外から来日したバレー公演を見に行ったことがある。数人が踊りながら幕の陰へ退く。
そのとき幕に入り観客から見えない位置になっても、踊りをやめることはなかった。これこそホンモノと私は思った。