2015年9月5日
3・11の夜以来、私は歌を作った。今までになくあふれ出た。
担当している新聞歌壇にも、震災詠はつぎつぎに寄せられた。
そういう動向をもって「ことばには力がある」といわれはじめたとき、ひどい違和感を覚えた。
どんな大災害に遭っても人間にはことばがある、ことばを通して結び合い再起していけると激励したい気持ちはわかる。
けれどこちらは徹底した破壊をまえに、ことばの無力を思い知らされていた。
だのに作品が生れたのは、定型と現実を直叙する手法がこの分野に蓄積されていたからだ。
熊谷達也氏も
「徹底的な破壊と混沌と、そして大量死を前にした時、言葉は無力だ。」(「私の一冊」「仙台文学館ニュース」29号)
と明言している。
「その時点で、小説家としての私は、おそらく一度、死んでいる。」
ともいう。
歌人も同じようにあの時に死んだ。
ただ定型の存在によって、死に体は辛うじて支えられただけだ。