2015年9月2日
宮柊二の『多く夜の歌』は1961年刊。はじめて読んだのは学生の日だった。
その時代、学生の経済状態は歌集を買えるようなレベルにはない。
選集ながら『群鶏』『山西省』に感銘を受けていた自分、新歌集が出たというので読みたいと思っていた。
そのことをなにかの折に話したところ「短歌人」の大和克子が貸してくれた。
さっそく読んでみた自分、『山西省』とはまるでちがう平板さにがっかりした。
こちらが若かったせいもある。
今回再読してみてやはり平板の印象は同じ。けれど家族と仕事を抱える生活者の日々、内に堆積する憤怒は、若い日の宮肇(柊二の本名)の心の在りようと通底する。
「悲しみを耐へたへてきてある某よ夜せしわが号泣は妻が見しのみ」
この悲しみがなにを起因とするかはわからない。
内にこらえられるだけこらえて、ついに噴出してしまう激しさは、『群鶏』のものであり『山西省』のものでもあった。