【往還集134】14 世代差

「誰も皆悪くないのというひとも鶴の首なら折ったはずです」
「霜柱 一匙すくい朝礼の生徒みたいだキラキラと泣く」
「コスプレの少女ふはふはとかたまつて売られる兎のやうに地にゐる」
「動物園に雨降る午後は声もなく廃墟に降りたやうな鷲の眼」

ある日私は2冊の歌集を立て続けに読んで不思議な思いにとらわれた。
一体世代差ってなんだろう、感覚とか意匠とかに差は出てきても、人の核の部分ではそれほどの差はないのでは?
新時代への感応はいつでもあるが、過剰感応はやがて淘汰される。
だがそれらを濾過したのちに透視できる部分つまり核、それは案外脈をうち合うものではないか。
引用作の最初の2首は藤本玲未『オーロラのお針子』、後半2首は馬場あき子『記憶の森の時間』。
藤本は1989年生れで24歳、馬場は1928年生まれで85歳。その差61歳だが、100年単位でみたらやっと半ばを超えたところだ。

(2015年8月9日)