2015年8月4日
扇畑忠雄は、2005年に94歳で亡くなるまで東北短歌界の重鎮でありつづけた。
私の作風はどちらかといえば反アララギだが、それでもなにかと支援してくれた。
この7月に刊行された遺歌集によって、改めて生涯を俯瞰することができた。
扇畑は1911年旅順に生れている。父親が6歳のときに死去し、帰国。高校卒まで広島で暮した。1942年には仙台に赴任、翌年召集令状を受けるが、検査の結果、なぜか不合格。そのときの部隊は中支で全滅する。
こうして辛くも広島に遭遇せず戦死からも逃れた。
以後今日まで反核・反戦論者を貫いた。
「「生き残り」「死におくれ」とぞ責むるごと如兵に行かざりし吾の残年」
「召集の吾を不合格とせし軍医すでに遥かなりその名を知らず」
「戦はず遁れし如く生きのびてここに在る命をひとりあやしむ」
いずれも80歳を越えてからの作品。
戦争の傷痕は、決して消え去ることがなかった。