2015年7月10日
先日「震災詠から考えたこと」の題で話す機会があり、本田一弘『磐梯』の漢字だらけの作品を紹介した。「避難区域屋内避難区域計画的避難区域緊急避難準備区域」会場からホーと声があがる。あのホーに込められた思いは何だったのだろうか。川内原発が稼働しようとしている。ホホホーとあきれるばかり。
月: 2015年7月
【往還集133】98「売れない」
2015年7月9日
小説が売れなくなったと騒いだのは10年もまえか。今度は音楽業界が大騒ぎだ。はじめから商業主義とは無縁の短歌の人間は、全然あせらない。やっとこちらと同じ状態になりましたねと慰めるのみ。売れないことが、すなわち質の低下につながるわけではない。この点は短歌の者として是非いっておかねば。
【往還集133】97「続」
2015年7月8日
結社に所属しない自分はリスクを覚悟でやってきた。けれど今やリスク云々さえ吹き飛ばす勢いだ。結社に入れば濃密な人間関係に巻き込まれる。そういうことへの倦厭感覚が特に若い世代は強い。幸か不幸か、結社機能の幾分かをネットが代行してくれる。結社・非結社を問わない時代に入ったというべきだ。
【往還集133】96「結社」
2015年7月8日
20代から本格的に短歌をやってきた自分、経験しない事態を目の当りにしている。若い世代の相当数が結社に入らない。そのため結社誌の多くは新人が育たず、自動的に高齢化している。そればかりか結社を前提に構成されてきた歌人組織もスカスカ。この事態に慌てふためいているかって?いやいや、全然。
【往還集133】95「赤ちゃんが」
2015年7月4日
膨満感がなかなか去らず、病院へ。腹部レントゲン異常なし。加齢とともに腸の働きが鈍っているのだと。薬局で処方薬を受け取るとき、若い薬剤師さんに「お腹どんなぐあいですか」と聞かれる。「赤ちゃんができたような感じで」というとクククとお腹を抱える。これ、不適切な返答だったでしょうかねえ。
【往還集133】94「「鹿」」
2015年7月4日
「鹿は 森のはずれの/夕日の中に じっと立っていた/彼は知っていた/小さな額が狙われているのを/けれども 彼に/どうすることが出来ただろう」村野四郎「鹿」をよく思い出す。世界各地から届く、あまりに悲惨な出来事。ひどく心痛しながら〈どうすることができるだろう〉と呟くばかりの無力感。
【往還集133】93「続」
2015年7月3日
あの歌詞でよかったのかどうか今になって悔いているというのだ。校歌2番目「船がゆく 太平洋の/青い波 寄せてくる波/手をつなぎ 世界の友と/輪をつくれ 大川小学生」。学校は北上川近くで海は見えない。まさか大波が寄せてくるとはーー。富田博さんはやがて逝去。最晩年のひそかな心痛だった。
【往還集133】92「大川小学校校歌」
2015年7月3日
富田博さんは童謡詩人。「おてんとさんの会」の会長を長年勤めた。晩年には耳が遠くなり、お会いしても十分な話もできなくなった。震災後に大川小学校を訪れた際、泥まみれながら壁面に校歌が掲示されているのを見つけた。作詞富田博。そのことを富田さんにハガキでお知らせしたら、時をおかずに返信があった。
【往還集133】91「『默示』ノート」
2015年7月2日
富澤赤黄男『默示』には80句ある。その全句読解に神野紗希(こうのさき)さんが挑戦、「小熊座」に連載された。よし自分もやってみようと思い立ち同誌に掲載させてもらった。19回でやっと終了。自分にとってはまたとない俳句勉強の機会となった。ことばにならないことば、それが『默示』なのだとやっと見えてきた。
【往還集133】90「小雀」
2015年7月1日
ガラス戸にいきなり衝撃音が。小雀が気を失って仰向に。こういうことが時々あるのでガラスに切り絵を貼っていたが、そこにはなかった。もうダメかと諦めていたら、次第に目が動き羽が動き首も動きはじめる。20分してやっと飛び立つ。恐らく初めての人生試練。これからたくましく生きぬいていけよ。