【往還集134】6 『正法眼蔵」』

2015年7月26日
 早暁の源氏書写を終わったとき、つぎに取り組むのは道元『正法眼蔵(しやうぼふげんざう)』と決めていた。 
名僧の輩出した鎌倉時代にはかねてより関心があり、関連本を読んでいたが、なかでも突出した人物は道元だと知るようになる。ただし『眼蔵』も、これまた突出した難解本。 
ならばこの際腰を据えてやろうじゃないかと思い立ったのが2008年2月28日。
以来7年5カ月を経て終了となった。
やはり超難解。
仏門者を相手に説くのだから外部の者がいくら努力しても限界はあるという評者もいた。この評者は外部人の手に成る注釈書も否定していた。
私もそういう評価がわからないわけではない。
けれどこの論理でいえば、信仰者でないものが聖書を読んでもむだということになる。 
はたしてそうだろうか。外部の者が読むことによる新発見もあるのではないか。
『眼蔵』はまちがいなく超難解だが、閃きのことばと出会うことができた。