2015年7月15日
「かりん」2015年5月号に中津昌子は「断絶とみえるものをめぐって」を書いている。永井祐、高野公彦、日高堯子を例示しながら、〈私〉の在りようを見据えた優れたエッセイだった。
その印象がまだ消えないうちに、新歌集『むかれなかった林檎のために』を手にすることができた。
対象と真向かうときの揺るぎなさ、それでいてダイナミズムともいうべき要素も秘められている。
特に印象に残った6首を引用したい。
「なまなまと雨は濡らしぬ丹の色に切り崩されし断崖の肌」
「眠って眠って産道を下りてゆくように母は眠りぬま昼をふかく」
「つかみかかるかたちに波は荒れながら海に向く墓一つにあらず」
「冬雲はダイナミックに動き出し古代劇ゆく人のごとしも」
「雪あかく汚れていたり杉の木が太く引きずり出されし傾り」
「蝶番はるかに鳴らしお降りてくる夏か緑の穂がゆれている」
最後の歌には解きがたい不可思議さがある。