ついでに賢治の一篇について。
あまり目立たないけれど、けっこう好きな短篇に「蛾」がある。
1922年7月、盛岡に毒蛾が襲来した。そのことを素材にした作品。
まず地名が独特。「イーハトブの首都マリア」これは岩手県盛岡のこと。「ハームキャのクワッコ学校」とは、花巻の桑蚕(くわご)学校。当時は養蚕が盛んで、各地に試験場があった。固有名詞をハイカラ語に翻案する腕は、みんごとみごと。
理容師をアーティストすなわち芸術家としているのも、注目に値する。床屋さんといえば、ふつうは庶民の町のオッチャンの商売。けれど賢治は一貫してアーティストと呼び、誇り高き仕事ぶりを具体描写している。
もっともこれは賢治の造語ではない。明治40年に東京本郷で理髪術の講習会があり、修得した人には「アーティスト」の称号が与えられたそうな。私市由枝さんの「「ポラーノの広場」語註」でそのことを知った。
(2015年4月7日)