2015年4月29日
畑の畝にマルチを施し、サトイモの種を植えて帰る途中、畑道でキジと出会った。トサカが真っ赤で、桃太郎のキジのような威厳ぶり。いつもならすぐ逃げるのにゆっくりと行く。そのわけがすぐわかった。後ろからまだ幼い2羽がチョコチョコ付いて行く。わが子を防御しようとする、お父さんキジだった。
月: 2015年4月
【往還集133】12「書信」
2015年4月28日
近年、手紙・葉書を書くに、徹底してパソコンで打つ人が増えてきた。小中英之が生きていたなら、それこそ口を尖らせて立腹したところだ。自分は小中よりずっと俗人だから、いちいち怒ったりはしない。けれど、というか、だから、というか、頼まれごとならほとんどやましさを感じずに断ることができます。
【往還集133】11「玉子の歌」
2015年4月27日
「東京のお菓子をあげて生みたての玉子もらいぬ 恥ずかしくなる」この歌松村由利子『耳ふたひら』にひっそりとある。石垣島に移り住んで4年。上京した折の土産を、地元の人に届ける。そのお返しとしての玉子。「恥ずかしくなる」なんと多くの、しかもことばにできない感情が、つまっていることだろう。
【往還集133】10「往還集」
2015年4月27日
自分が折にふれて発信しているブログは「往還集」。多少長めのツイッターなのだが、このタイトル、すでに土屋文明の歌集にある。全歌集はすでに読んでいるというのに、全く頭に浮かばなかった。いったいなぜ?これまた狼狽。歌をやるものとしては恥じだが、恥は大っぴらにしておいたほうがすっきりする。
【往還集133】9「強霜」
2015年4月26日
加藤楸邨に「強霜の踏めば小さき虹見ゆる」があるのを知って、狼狽。自分の第九歌集は『強霜』。「こはじも」と読んで、造語のつもりだった。季語にすでにあったとは不覚。もっとも、そちらは「つよしも」。みちのくの晩秋また早春の霜の厳しさをあらわすに、自分としてはやっぱり「こはじも」でなければ。
【往還集133】8「人間界」
2015年4月26日
数日間家にこもって仕事し、食糧を求めてスーパーへと車を走らせる。店内には人があふれる。男も女も老いも若きも子どもも赤ちゃんも。その当たり前の事ことが何と新鮮で驚きにみちていることか。人は物を買い、カードでペタッと払い、おしゃべりして、帰る。まるで人間界へ紛れ込んだ、山人の気分だ。
【往還集133】7「畑」
2015年4月25日
やっと腰痛も回復。こうなればいよいよ畑ぞ。農具を車に積んで郊外のしらさわ白沢へ。目のまえになだらかな山が連なる。常套句ながら、全山泣きたくなるようなさ緑。去年はジャガイモがすっかりイノシシにやられたから、ネギ苗をいっぱい植える作戦だ。イノ諸君、今年は君たちのグルメには応えてあげませんよ。
【往還集133】6「字」
2015年4月24日
このところ許容量がオーバーぎみ。これではダメだ、依頼稿は可能な限り休むことにしよう。そう決めた矢先、某記念館から依頼状。文面だけでも見ようと開いたら、驚くばかりの美しい字。小指につばをつけてそっと字に触れてみる。インクがふやける。まぎれもない直筆!断ることができなくなったのでした。
【往還集133】5「耳鳴り」
2015年4月23日
耳鳴りの専門医に月1回通っている。おかげで何とかコントロールできるようになった。今日、新患の男性がしきりに訴えている、もう1週間も眠れない、仕事も手に着かないーー。そのひどく落ち込んだ表情は、1年半まえの自分でもある。傍目には何でもないのに一人だけで抱え込むつらさがあるものなのだ。
【往還集133】4「これ以上の悲しみ」
2015年4月21日
自分が死ぬことを覚悟で自爆する。悲しいことがこの世界で現に起きている。けれどそんな覚悟がなく、体に装置を付着され、群衆の中へ入る。群衆も小さい子なら警戒しない。そこを利用して、遠隔操作を行う。この世界には子どもをめぐる悲しみは山ほどあるが、これ以上やり場のない悲しみがあるだろうか。