「埴土」とは、粘土質を50%以上含んだ土壌。耕作には不向きだ。
その語を歌集タイトルにした『埴土地帯』が、前田夕暮にある。
空襲で危険になった東京を逃れ、奥秩父入河谷に疎開したのは1945年2月、63歳のとき。
チモールに出征した息子透は病で帰国不能の知らせがあって、ひどく落胆する。
しかし翌年6月に復員の報が入る。
そういう苦難を重ねつつ、安堵を得た日の作品に
「石の上に眠りてありし時のまにうつろひにけりわがうつし世は」
「ひそひそと水の流るる音きこゆ生きあましたるわが世愉しき」
がある。初老の年齢で山深い農生活に難儀しながらも、しだいに周辺の自然とも村人とも親和していく。
ぬくもりのある日には、石の上にうたたねする。
「生きあましたるわが世愉しき」という心境にもなる。
疎開生活1年8ヶ月の間に、歌人夕暮の手にしたのは、生と自然の融合という、大いなる境地だった。
(2015年3月6日)