母方の祖母は大地主かつ大商家の娘として、なんの不自由もなく育った。
やがて養子を迎え、息子2人、娘4人をもうける。
ところが次男は旧制中学入学の寸前に、急性腹膜炎で早世。長男のほうも戦中に結核になり、10年間の闘病ののちに、戦後ほどなく夭折した。
この不運に祖母は人間不信に陥ってしまった。
我が家は同じ敷地内に住んでいたから出入りが日常で、墓参りにもお供することになったのである。
墓地に着くと祖母は、二つの卒塔婆に花と線香をあげる。
それから卒塔婆を抱きしめ、「和男!」と呼びかけて号泣する。
つぎに「寿郎!」と呼びかけて、また号泣する。
このいきなりの変身に、最初はあっけにとられ、怖れをなしたが、回を重ねるにつれて慣れ、泣き終るまでかたわらで待つようになった。
帰りはまたネコの玉の石段で一休み。
「泣いだごど、だれさもだまってろよ」といって、青い玉をてのひらにのせてくれた。
(2015年3月1日)