富士山を愛した近代歌人の筆頭は、前田夕暮だ。
彼には『富士を歌ふ』と『新頌・富士』の2歌集がある。前者は1943年刊行で、戦争賛美歌も混じっている。したがって
「雪あらぬ富士の全面に翳(かげ)はなし粗放厖大にして立ちはだかれり」
とうたうとき、神国日本を象徴する山と意識している。
後者は1946年の刊行。
「まなかひに朝の富士あり雨雲をつらぬきて赤くそびえたるかも」
と、やはりその壮美豪快さを詠んでいる。しかも「ああ富士こそは、わが国土日本に、戦ひ敗れしがゆえに、更にひときは虔しきその表情なれ。」と「序」に記す。
つまり戦中・戦後のはなはだしい断層にありながら、富士山はどちらからも超越している。
私はこのことに興味を覚える。
人間界にいかなるごたごたがあろうと、沈黙を守りつづける、天のまなざしとしての存在。
そういう富士に夕暮は心を寄せ、飽くことを知らなかった。
(2015年2月19日)