自分の卒論は「太宰治『人間失格』論」。これを書くため、4学年の秋に青森、弘前を巡り、金木町の斜陽館にも泊まった。当時は旅館になっていた。翌日は小泊まで行き、幼年太宰の世話をしたタケさんにも会った。
こうして100枚の論を書き上げて卒業したが、内容の稚拙さはともあれ、忘れがたい思い出となっている。
その後こちらは評論など刊行する身になり、見知らぬ学生から卒論の相談を受けることがある。
そういうとき可能な限りていねいに対応することにしている。
というのは、自分にわびしい体験があるから。
太宰論の切り口に迷って、一人の評論家に問い合わせの手紙を送った。奥野健男氏。名もなき学生と思ったか、多忙だったか、返信用封筒を同封したのに、ついに返信はなかった。
あのときの、相手にもされないことのわびしさ。
自分が問い合わせを受ける側になったら、つれないことはすまいと思ってきた。
(2015年2月7日)