【往還集132】 140字偶感篇(1)「祈るための椅子」

2015年2月28日
長崎の歌人馬場昭徳に「祈るための椅子が並べて置かれあり祈りの形与ふるために」がある。この一首、日を重ねても、ふしぎに心にのこっている。教会に並ぶ木の椅子、それは祈りにくるひとのものだ。同時に祈りに形を与える役目もしている、たしかに。短歌定型も、つまりはこういうことだなと直感した。

【往還集132】27 春子夫人

今日は2・26事件の日。当時の内大臣斎藤実も犠牲となった。
その斎藤は水沢出身。この日になると中学の校内放送では、追悼番組を組む。
弁舌のたつ社会の先生は、同じく犠牲になった高橋是清のことも話す。反乱軍が入ったとき裸で寝ていた、青年将校は礼を尽くし衣服を差出して「これ、着よ」といった。これが追悼解説の定番だ。
こちらが高校生になり、長期休暇には水沢図書館に通うようになる。斎藤邸の敷地内にある。
開館と同時に入ると、老婦人がいつも広い木机を拭いている。
小柄で、白髪、和服姿。穏やかな笑顔で自分たちを迎えてくれる。
斎藤夫人だ。
斎藤邸と図書館は廊下で結ばれている。
ある日案内されて行くと、鏡台がある。覆いをとると罅の入った鏡面が現れた。銃弾を受けた痕跡だという。
春子夫人は1971年に98歳で亡くなった。
2・26の日になると、気品ある姿がいつも浮かんでくる。
(2015年2月26日)

【往還集132】 140字偶感篇(1)「目」

2015年2月25日
楸邨『山脈』に「狐を見てゐていつか狐に見られをり」の一句あり。「見られをり」に、ふむふむ。けれどキツネはこちらを見ているようで焦点が定まっているわけではない。人形も同じ。大きく見開かれた目は人間を凝視しているようで後方へと向かっている。人形が本当に見ているのはいったい何なのだろう。

【往還集132】 140字偶感篇(1)「縦走の日」

2015年2月24日
1週間も家に籠って仕事していると、無性に人恋しさがわいてくる。この孤独感、いつかどこかで味わったなあと思いめぐらしているうちに、そうだあれだと気づいた。連峰を数日かけて縦走したことがある。テント生活だから、人界とは完全に切り離されている。あの独得の孤独感と、これは似通っている。

【往還集132】 140字偶感篇(1)「長生き」

2015年2月23日
「短歌研究」3月号「現代代表女性歌人作品集」に、西澤みつぎの歌「この息子号泣させて死なむには少し長生きし過ぎたやうで」をみつけた。80代後半の人らしい。この直言ぶりがいい。「「老人力」なる造語にて老いたちを励ましてくれてさつさと逝けり」これなんかも、思わず笑ってしまうではないか。

【往還集132】 140字偶感篇(1)「町内巡回」

2015年2月23日
町内巡回の当番。小路を隈なく歩いてはゴミを拾う。自分はゴミ拾いがすきなのでこの当番けっこう楽しい。黄の専用ジャケットを着るから変には思われない。おもしろいことに犬のフンを袋に入れてそれをポイする人がいる。この半分の良心。いっそのこと、生のまま捨ててもらったほうが肥料になるのにね。

【往還集132】26 松島や

原発は、再稼働へ向けてまっしぐら。事故が起きれば、まず被害をこうむるのは直下の地元だ。
その地元が半数以上再稼働に賛成している。悲しいことだ。生活するためには、これ以外の選択肢がないという。
この地元以外の近隣市町村の賛否は、問おうとしない。問えば反対が多数になるから。地元だけ問い、賛意が確かめられたとしてゴーサインを出す気だ。
ところで女川原発の例でいえば、30キロ圏が避難計画策定地域になる。東松島市の奥松島が南方の境界線に当る。
そこと松島湾は隣接している。
一旦事故が発生したら、奥松島はだめだけれど松島は大丈夫ということにはならない。四季を通して全国から来る観光客は完全にストップし、観光地として成立しなくなるだろう。
だのになぜ松島は声をあげないのか。再稼働なんてできっこないと内心思っているか。「松島やああ松島や松島や」と慨嘆したくなるではないか。
(2015年2月21日)

【往還集132】 140字偶感篇(1)「はじめて言つたものは」

2015年2月20日
近藤芳美はいう、「はじめて言つたものは、たとママえ其のロジックに矛盾があらうと、とにかく自分の苦しみを持ち、それだけでも尊敬すべきである。いつ迄もそれにぶらさがりまつはつて居るものは、僕には二流品としか思はれない。」(「歌壇の生態と定型」)この一言、現在の歌界にもそのまま通用するではないか。

【往還集132】25 富士山の歌

富士山を愛した近代歌人の筆頭は、前田夕暮だ。
彼には『富士を歌ふ』と『新頌・富士』の2歌集がある。前者は1943年刊行で、戦争賛美歌も混じっている。したがって

「雪あらぬ富士の全面に翳(かげ)はなし粗放厖大にして立ちはだかれり」

とうたうとき、神国日本を象徴する山と意識している。
後者は1946年の刊行。

「まなかひに朝の富士あり雨雲をつらぬきて赤くそびえたるかも」

と、やはりその壮美豪快さを詠んでいる。しかも「ああ富士こそは、わが国土日本に、戦ひ敗れしがゆえに、更にひときは虔しきその表情なれ。」と「序」に記す。
つまり戦中・戦後のはなはだしい断層にありながら、富士山はどちらからも超越している。
私はこのことに興味を覚える。
人間界にいかなるごたごたがあろうと、沈黙を守りつづける、天のまなざしとしての存在。
そういう富士に夕暮は心を寄せ、飽くことを知らなかった。
(2015年2月19日)

【往還集132】 140字偶感篇(1)「天気図」

2015年2月18日
東京は雨。午後に「はやて」に乗り、一気に北へ。ところが黒磯のあたりは猛吹雪。そのなかを突っ切ると郡山は小雪。さらに仙台に着き仙山線に乗り換え、やっとあやし愛子に降り立たったら、どかっと雪は居すわっていた。この間、時間にすれば2時間半。天気図のなかを、がむしゃらに走ってきた気分だった。