【往還集132】 140字偶感篇(1)「雪景色」

2015年1月31日
一夜にして30㎝の大雪。二階の窓から眺めると、白い砂をいっぱいにまぶした箱庭のよう。子どものころから風景の一変する雪景色は大好き。まるで魔法の国へ降り立った気持ち。初雪のときは特にうれしくて、はだしで飛び出し庭中を走り回った。真綿の世界を踏む感触、そして真っ赤になるふたつの足裏。

【往還集132】13 歩く詩人みたいなもの

「若さって、歩く詩人みたいなもの」の名文句が閃いた。
けれど独創ではない。何年かまえ工藤美代子『快楽(けらく)』を読んだ。そのとき、記憶に留まった1句がある。十代や二十代は歩く性器みたいなもの、だ。
どんな場面でのことだったか、もう一度本を取り出してみた。
友人恵美子さんが語る、「たとえばさ、十代や二十代の若い頃って、もうアフリカ大陸みたいなものよ。いたるところが熱いのよ。唇から耳たぶ、乳首やクリトリスはもちろん、身体のすべてが感じたでしょ。まあ、言葉は悪いけど、歩く性器みたいなものよ。」
この「歩く性器みたいなもの」が、「歩く詩人みたいなもの」を呼び起こした。
なぜかって、この頃若い世代の歌のわからなさについての論議が多いから。
なぜ「わからない」と感じさせるかといえば、具体的「もの」にも「こと」にも即かず、いきなり〈詩人〉となって歩きそして走るからだ。
(2015年1月30日)

【往還集132】 140字偶感篇(1)「キッパリと」

2015年1月28日
家の周辺の空地は、大震災以後の建築ブームで次々に建っていく。すぐ隣もその最中で、毎日トンカチがつづく。大工さんたちは、10時、12時、3時になるとキッパリと仕事を休む。昼にもキッパリと昼寝する。このキッパリが、傍目にも実に実にみごと。肉体労働する人にとって、必須のリズムなのだ。

【往還集132】 140字偶感篇(1)「手編み」

2015年1月27日
図書館に寄るたびに、編み物専門誌「毛糸だま」を手にする。開いていくと、世界各地の目もさめるようなデザインが出てくる。手編みセーターも奥が深い。単なる機械製品とはちがい、人間の体温があり、民族の歴史も、知恵も、風土も潜んでいる。いつしか人間への郷愁が湧いてくるのは、我ながら不思議だ。

【往還集132】 140字偶感篇(1)「弱いもの」

2015年1月27日
朝ご飯がのこると、スズメさんにあげる。今日も御馳走をくださるかと、庭木で待っている。多いときは30羽も。ところがヒヨやヤマバトも割り込んでくる。こちらは大きいので、たちまち平らげる。スズメさんたちは彼らが満腹するまで、チュチュいいながら枝にいる。弱いものはどこの世でも損をする。

【往還集132】 140字偶感篇(1)「青い目の人々」

2015年1月26日
GHQによる検閲問題を調べている。悪しき軍国主義から日本国民を救い、民主主義国家を樹立すべし、そのためにはまず表現の自由を、と理想に燃えて海を渡ってきた三角帽の人々。表現の自由のために表現を統制することが悪だとは少しも考えていない。無邪気で明るく、手も足も長い、青い目の大きい人々。

【往還集132】12 軟球で

斉藤劦(つとむ)は1935年青森県生れ、弘前市在住の川柳作家。彼の新刊『大地(おおつち)』(東奥日報社)を読みながら、川柳の世界もなんと奥の深いことよと、感銘するところがあった。
まずは作品をあげてみたい。

「ふるさとの山に黙礼してしまう」
「正直に話してごらんかたつむり」
「へらへらとだあれもしない蟻の列」
「まんまるい石まんまるく濡れてゆく」
「輪の外に出て輪の中が見えてくる」
「躓いた石にお辞儀をしてしまう」
「ひまわりがみんな許した顔で咲き」
「ぱっと散るただそれだけがむずかしい」
「滑ったり転んだりして真っ直ぐに」

575の形式は同じでも、俳句はこういううたいかたをしない。蟻の列をよむことはあっても、「へらへらとだあれもしない」とはいわない。落花はよんでも、「それだけがむずかしい」とはいわない。
硬球ではなく軟球で、人事の深奥をつかむ。これは、短歌でもできそうで、できない。              
(2015年1月25日)

【往還集132】 140字偶感篇(1)「自由律」

2015年1月25日
前田夕暮の自由律もつまりはツイッターでなかろうか。「草は私を知つてゐる、近づくままに・・・・にんまりとした表情をみせ」「人の後姿が眼につく秋なり、草にゐてひとりごとをいふ」(『烈風』)。ツイッターと、短歌と詩のちがいはどこにあるだろうか。それをしばらくじっと、しかしゆったりと考えてみることにする。

【往還集132】 140字偶感篇(1)「影」

2015年1月24日
南側から北側へ通じる坂道を登る。日差しがありまともに自分の影が写る。立ち止まると「どうしたんだ、早く歩かんか」と影がいう。「いったい、どっちが主人なのだ」と抗議すると、「それはもちろん、オレのほうさ」というではないか。たしかに。足の重い自分を引きずるように、影はあくまでも進んで行く。

【往還集132】 140字偶感篇(1)「偶然」

2015年1月24日
旧約『サムエル記 下』に、ダビデがモアブを討つ場面がある。「彼らを地面に伏させて、測り縄ではかり、縄二本分の者たちを殺し、一本分の者は生かしておいた。」この縄の長さによる選別は、個々の履歴も人格も一切関係ない。ただ縄二本分と一本分の差。つまり、人知・人力のまったく及ばない偶然である。