前田夕暮の全歌集の読書を企てて、『水源地帯』まで来た。
この歌集は1932(昭和7)年刊行、定型律から自由律へ変化しことでよく知られる。しかも朝日新聞社の企画で飛行機に乗り、作歌したことがきっかけ。
「自然がずんずん体のなかを通過するーー山、山、山」
そういう『水源地帯』を久しぶりに再読して、「序」がずんと目に迫ってきた。
「詩は単なる形式の為めの形式であつたり、古い時代の模倣であり、繰り返しであつてはならぬ。詩は創造であるべきだ。そして、地にこぼれた穀粒が発芽する歓びこそ、吾等の新しい歓びでなければならぬ。」
あまりにも真直ぐな、正当すぎる歌観。ここにまともに降り立った以上、定型は超えなければならなかっただろう。
だが不思議なことに、自由律作品を読んでいると、思いのほか自由にいかないことに気づく。
なぜかという問題を、これから時間をかけて、考えていくことにする。
(2014年12月25日)