【往還集132】5 『帝国の慰安婦』

本年をふり返り、最も感銘を受けた本をあげるならば、朴裕河(パクユハ)『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版)だ。
2006年刊行の『和解のために』もかなりの手応えだったが、今度は慰安婦問題に焦点をしぼり、歴史的経過と韓日の現在に正面から取り組む。
この1冊をまえにすると、「朝日」の誤報道は問題の1部でしかないことが見えてくる。324頁に及ぶ大冊をわずかのスペースで紹介するのは無理なので、慰安婦の根本に関わる1点だけ記しとどめておきたい。

「一人の女性を圧倒的な多数の男性が欲望の〈手段〉としたことは、同じ人間として、恥ずべきことではないだろうか。慰安婦たちが尊厳を回復したいと言っているのはそのためでもある。彼女たちの羞恥の感覚はおそらく、人間ではなく、〈もの〉として扱われた記憶による。」

この1冊があるおかげで、世を絶望せずに越年できそうだ。
(2014年12月28日)

【往還集132】4 「朝日」問題

「朝日」は従軍慰安婦誤報問題、池上彰コラム掲載見送り問題、原発時の職員避難誤報問題などで揺れている。検証のための第三者委員会が設けられ、経過がたびたび報じられてきた。12月23日付では9面も使って、一気に掲載。
はじめの頃は身を切る作業に好意的だった自分、さすがに「こんなに紙面を使って、購読料をとるの?」と、なんとも割り切れない思いになってきた。
社内問題を購読者も共有するのは、両者にある種の連帯があってのこと。
だが特に原発問題以後「朝日」の視点はあいまいになり、私の目にする限りでは「河北新報」や「東京新聞」などの方が、ずっと筋が通っている。「朝日」の内部になにかが起きていると感じたのは、慰安婦問題以前からだ。 
それを初心に立ち返って検証するのは勿論喜ばしい。
けれどまず社内でやってください。こちらは骨のあるジャーナリズムを手にしたいだけですから。
(2014年12月27日)

【往還集132】3 後藤一等兵

岩田正が短歌「からすのこゑ」に添えて、エッセイ「後藤一等兵」を書いている(『短歌』2015年1月号)。
岩田は1924(大正13)年生れ。初年兵として召集される。
そんなある夜、兵舎の裏手を歩いていて、自分を招くものがある。後藤一等兵だ。

「いいかだれにも言うな、日本はもうじき必ず負ける。それまでうまくやれよ」

そういうと、影は離れたという。愛国精神に染まっていた自分への、忠告だったにちがいない。
だのに名古屋大空襲の夜、どうせ死ぬのだからという気で、自分だけ壕に入らないでいた。
すると壕から白い手が伸びる。腕をつかんで引きずりこみ

「岩田いま生きるんだ」

と、優しく睨む。
エッセイは「六十年後、後藤さんに会いに行った。」で結ばれる。このとき両者とも、80歳過ぎのはず。どんな語り合いがあったかは描かれていないが、1冊の長編を読み終えたに等しい重量感が伝わってきた。
(2014年12月26日)

【往還集132】2 詩は創造

前田夕暮の全歌集の読書を企てて、『水源地帯』まで来た。
この歌集は1932(昭和7)年刊行、定型律から自由律へ変化しことでよく知られる。しかも朝日新聞社の企画で飛行機に乗り、作歌したことがきっかけ。

「自然がずんずん体のなかを通過するーー山、山、山」

そういう『水源地帯』を久しぶりに再読して、「序」がずんと目に迫ってきた。

「詩は単なる形式の為めの形式であつたり、古い時代の模倣であり、繰り返しであつてはならぬ。詩は創造であるべきだ。そして、地にこぼれた穀粒が発芽する歓びこそ、吾等の新しい歓びでなければならぬ。」

あまりにも真直ぐな、正当すぎる歌観。ここにまともに降り立った以上、定型は超えなければならなかっただろう。
だが不思議なことに、自由律作品を読んでいると、思いのほか自由にいかないことに気づく。
なぜかという問題を、これから時間をかけて、考えていくことにする。
(2014年12月25日)

【往還集132】1 在日日本人

短歌講座最終回を終えて帰宅。今年も公式の行事一切は終了だとほっとした気分。
けれどこのところ、なにかとりとめもない気分でいる。
世の動向を見ていると、この国への誇りがそれこそ埃となっていきそう。
「在日日本人」の語を見つけたのはそんなときだ。句誌「船団」第103号で、宮本輝と坪内稔典が「私と言葉」の題で対談をしている。『流転の海』の主人公松坂熊吾は、日本人でありながら日本人が嫌いな人物。そのことに関連させて坪内は、京都のフランス文学者杉本秀太郎の言を紹介している。日本人はいいたいこともいわないし成熟していない、だから嫌いだ、「私は在日日本人なんです」。 
この気持ち、よくわかる。日本人として生まれたのに、日本への違和感。
「そんなやつは日本から出ていけ」と、やがてはヘイトスピーチされるかも。
彼らが大手を振るから、誇りが埃になりはじめたというのに。
(2014年12月24日)

【往還集131】40 雪

本年の「往還集」発信は、今回が最後となります。
日々心に去来するあれこれをパソコンに入力し、10回分たまったところで発信しています。
今日は年間回顧をしてみたいと思ったのですが、どうもパッと心の晴れるようなことがない。
今朝の報道でも、パキスタンの軍系学校がイスラム過激派に襲撃され、130人死亡という痛ましい事件が伝えられています。
遠い地にいるものは心を痛めるだけで、99、9%、どんな助力もできない。
近所の不幸な出来事にも、やはり99、9%無力であるほかない。
3・11のとき、こちらは逆に心配され、祈られる側に回りました。
人は、それ以上どうしようもないとき、互いの無力を認め合うほかない、それが結果的には支えになるのだと知りました。
あの日は雪。
雪は、自分で自分を美しいといわないけれど、やはり美しい。
今日も朝から雪。
周辺の森が墨絵のように霞んでいます。
(2014年12月17日)

【往還集131】39 古書

「路上」に「宮柊二」を、長期連載している。
目下『山西省』論に入って、資料読みの最中だ。
テキストにしているのは、岩波書店版の『宮柊二集』。
随筆・評論関係は、単行本のままでなく発表年順に収録されている。
読むほうにとっては都合がいい。
ただ単行本には、1冊の持つ勢いや熱さがある。そこで両方を合わせて読んでいこうと、所蔵していない分を検索して注文中だが、がっくりきたことがある。
それは値段のこと。
『埋没の精神』は2750円だから、まずは妥当なところ。『机のチリ』は228円、『白秋・迢空』は250円、『西行の歌』いたってはたった1円!
古書店にとっては、クズ同然だということ。なぜこんなことになるか。
読みたい、使いたい人が激減しているからにほかならない。
柊二も読まれない時代になってしまった。買うほうとしては安価は喜ばしい。
だのになんだか、すごく悲しくなってくる。
(2014年12月16日)

【往還集131】38 この事

この事はあまりに痛々しいので、書くまいと思っていた。
散歩のときその家のまえをよく通る。
昨夜も忘年会の帰りに通った。
近所の家は灯りがついているのに、一軒だけ静まり返り、がらんどうだ。
近所の人は、あまりの悲しみに誰もが黙し、時の流れを待っている。
けれど、なにもなかったことにしていいのだろうか。
子育てをした人なら大抵が経験する、わけもわからず泣きわめく赤子への苛立ち、そして孤立無援の思いを。
はじめての子で、近くに親しい人もいないときはなおさら。
転居してきて1年の若夫婦、1人目の赤ちゃん。
つい先日の9日に若いママは、4カ月のわが子を発作的に窒息死させてしまった。
事が起きてから、なにか手助けできなかったろうかと誰もが悲しみ、悔やむ。
けれど、もう手が届かない。
「いつの日にかママを許してくれるだろうか」と、そっと赤ちゃんに語りかける、祈る気持ちで。
(2014年12月14日)

【往還集131】37 古山高麗雄という兵士

古山高麗雄の代表作は「プレオー8の夜明け」。22歳のとき仙台の歩兵第四聯隊に入隊した。そういう機縁があったからだろう、出版社の企画で学校講演に来てもらったことがある。
ところが生徒の大半は文学に関心がない。古山もぼそぼそとしゃべるだけで、要領をえないうちに時間がたってしまった。
自分は最近、戦争文学を集中して読んでいる。その1冊が『二十三の戦争短篇小説』(文芸春秋)。
描かれているのは、勇猛とか悲惨とかいう像とはちがう、いうなればダメ兵士像だ。かの日の要領を得ない講演の姿が思い出されて、懐かしささえ湧いてきた。
なにしろ分隊長の「撃て」の号令でやたらにぶっ放すものの、空へ向けて撃つ(「白い田圃」)。捕虜の手に食いこんでいる縄も、点検するふりをして緩めてやる。
皇軍兵士とはまるでちがう、等身大の兵士像が、つぎつぎに登場する。それがなんだか新鮮でさえあるのだ。
(2014年12月12日)

【往還集131】36 「ヤン ミジョン」

最後の勤務校に赴任したのは、1996年。その日の午後に行われた入学式を、よく覚えている。
クラス担任が、新入生を高々と呼名していく。
名を読み上げられた新入生は、緊張した面持ちで「はい」と返事し、まだ身につかない制服姿ながら起立する。
何クラスか進んだころ、いきなり「ヤン ミジョン」の声が。
ひとりの女生徒がすーっと立つ。手元の新入生名簿を見ると「梁 美静」とある。
私は教師になって以来、何人かの隣国籍の生徒を担任したが、どの人も日本名に替えていた。本名を表に出すのは、なにかと憚られる空気が長くあった。
やっと本名を、堂々といえる時代になったのだ。ひそかに、胸が熱くなった。
授業で会うようになって、「美静ってなんてすてきな名なんだろう」と何度もいった。
ところで近年、隣国への敵愾心を露わにする言動が出てきた。今になって歴史を逆戻りさせようというのだろうか。
(2014年12月11日)