

「「風野又三郎」を読む」の原稿にとりくんでいたが、半月かかってやっと終了。50枚をこえたあたりから疲れ、70枚になって、これ以上もうダメって感じ。
そういうわが身を労わろうと月山池へ行ってきた。
湖は、いつ来ても不思議だ。陳腐な表現ながら、湖面はまさに鏡そのもの。広く、ひろーく、まっ平らに開け、木の実が落ちたり、カモが飛び立ったりすると、紋様がどこまでもどこまでも連鎖していく。それがしずまると、雲が、山が、黄葉の色が、どちらが本物か見分けがつかないほどに倒立する。
今日は、南がわの遊歩道を進む。
途中、渚近くまで下り、石に腰を下ろす。こちらは山の影になっているのに、向こう岸はまともに澄明な日差しを浴びている。
もしかして、そこは、失われた時間の世界。よくよく目をこらせば、たしかに幼い日、いな、未生の日の自分がよちよちと遊びまわっているではないか。
(2014年10月26日)