【往還集131】14 わからないということ・続

昨年、東京を会場に宮沢賢治研究会があった。
講師の一人だった私は「水仙月の四日」と「鹿踊りのはじまり」の比較をテーマとした。賢治の童話で、珠玉の名作は「水仙月の四日」だと、私は長い間思ってきた。
ところが質疑の時間になったとき、「水仙月の四日」のどこがいいのかさっぱりわからないという発言が出た。
その不意打ちに、こちらは愕然。評価が、まさに天国と地獄ではないか。
愕然がおさまったころ、両者の溝には、ある深い問題が横たわっていると考えるようになった。
そして大江健三郎と村上春樹。黒井千次や宮本輝はわかるのに、なぜ大江や村上はわからない?
この溝を探るには、まず無意識に蓄積されてきた自分の尺度を疑い、解体させなければ。 
そのまえに、わからないことはわからないと告白(かた)ることからはじめなければ。
この問題、現在の短歌分野に進行している事態にもそのまま当てはまる。
(2014年10月10日)