広島市の豪雨による大災害につづいて、今度は御嶽山の大噴火。47名の犠牲者が判明し、さらに10数人いる可能性があるという。
なんと痛ましいことがつづくことか。犠牲者個人の情報に接すると、やりきれない思いになる。子どももいるし、交際中だったひとも、また夫婦の一方だった人も。
心が痛むと、常套語しかいえない自分に腹が立つ。
けれど思いは複雑だ。広島の惨状に息を呑んだのに、御嶽山に移ったら広島の衝撃が後退している。
このあまりの薄情さを許しがたいと思いながらも、どうにもならない。
3・11ですら、世の記憶に留まったのはせいぜい2年だ。その後のことは、被災圏外には届かない。解消したからではなく、歪みがひとりひとりに内化してしまったから。内化してしまえば、肉眼ではとらえられない。ニュースにもならない。
けれどひとりひとりの傷は、これから何度も何度も更新されていく。
(2014年10月3日)