夏になると「ビルマの竪琴」を観たくなる。最初に観たのは中学、13歳のとき。1956年版の白黒映画で、監督は市川崑、主演は安井昌二。
つぎは1985年版で、監督は同じ、主演は中井貴一だ。
以来、50回は観てきて、その度に感涙にむせぶ。竹山道雄の原作ももちろん読んでいる。原作と映画がちがうことも、内容上の矛盾があることも知っている。戦場で合唱したら敵兵に見つかるではないか、ビルマ僧は楽器演奏禁止というではないか、自分は帰国しないとなぜ部隊に告げないのか、などなど。
だのに引きつけられてきたのは、やはり水島の在り方にある。戦友と共に故国へ帰りたい気持ちは山々なのに、あえて自分を押し殺し、屍となった同胞の弔いに身を捧げようとする、若き意志性と無私性。それに感応するのだ。
こういうタイプの人は、今でもどこかにひそかに、もしかしたら身近に、きっといる。
(2014年8月27日)