誤植について「往還集128」の「6 ありえないことはありえない」にとりあげ、「誤植は出版の華」とまで書いた。
が、それでさっぱりしたわけではない。名指しがたい不気味さはのこったままだ。
校正も編集も「これでよし」のゴーサインに達したはずなのに、過去の記憶をどこかに留めていた機械が勝手に作動してしまうことがあるのだ。
佐々木六戈氏といえば、短歌・俳句・詩を自在に渡り歩く稀有なる表現者。すぐれたセンスの「草藏」も出している。その第76号「草具勘弁」に、「草藏」でも印刷機の不具合でミスが起きたことに触れている。
歌誌だけでなく、高価な費用を要する歌集にもほんのたまに生じ、訂正の知らせや回収願いのはがきがきたりする。作者だけでなく、全過程の人にとって無念なことだ。
人力・人知の及ばない作動は、もはや「華」では片づけられない。
これはもちろん出版だけのことではない。
(2014年8月2日)