【往還集130】25 「梅はめば酸し」

春以来『左千夫全集』第一巻「歌集」を読んでいる。それと並行して、永塚功『伊藤左千夫』(桜楓社)も。
子規後、「アララギ」の中心となるのは左千夫だが、やがて茂吉や赤彦と対立するようになる。
それが表面化するのは、茂吉の

「木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時立ちにけり」

が契機だと、永塚は書いている。
左千夫の批判は、言語の配置に妥当性を欠く点、感情を表すに自然なことばがない点に向けられる。これまでの「アララギ」の尺度からすればもっともだが、茂吉にしてみれば、新感覚の発露を抑えがたかった。
同じような事態は、現歌界でも進行中だ。「穂村弘の歌はわからない」がそれを象徴する。
確かに穂村以降「わからない」歌がふえ、その勢いは現在もとまらない。うたうときの基層に、ズレが生じてきたのだ。
「左千夫対茂吉・赤彦のアララギ内部論争」がこの現在(いま)と重なり合ってくる。
(2014年7月13日)