作者についても背景についても、全く予備知識なしに歌集を読むことがある。いうなれば付加価値をはじめから脱落させた読書。
そういうとき、予期せぬ驟雨を浴び、爽快さを覚えることがある。今日読んだ『体温と雨』もまた。
「はなびらの踏まれてあればすきとほり昼ふる雨の柩と思ふよ」
「さむき額さむきなづきに触れしとき昼のひかりがひとつ亡びる」
桜が終わり人出もとだえた場所、そこに透明な雨が降る。「昼ふる雨の柩」これがいい。寒い額と頭に触れる光の触覚、そして亡びの予感。
作者が何歳か、どういう歌歴か、なんの情報も持ち合わせていないが、これらの歌には未生の感性が生きていると感じる。未生と亡びは対極にありながら、限りない近さでもある。
もう少し引用する。
「パスしあふ少年ふたりの影は濃しときどき低い木のやうに立ち」
「わたくしであることの疲労 コンビニに入るとき赤い傘をたたみぬ」
(2014年6月19日)