自分語りの要素の濃厚な短歌について考えておきたい。
自己像を持ちこむのを否定して、虚構を貫く作風は過去、現在ともにあるが、広く長く読まれるのは、どうしても自分語りの方だ。
万の数の震災詠を読み、選出し、番組構成したりする立場に置かれた私は、絶えずこの問題に直面してきた。
被災しなくても、したかのごとく詠うのは自由だ。
ただし作者にインタビューする段になると、実体験かどうかがばれてしまう。
そこであらかじめ、作者の住所にも気を配る。
ところがしだいに被災圏外の住所もふえてきた。特に福島は他県へ大勢の人が避難しているのだから。
結局は作品の迫力を決め手とするほかない。作品=作者である必要はない。これは一般論であり、自分の考えでもある。
だのに「震災を詠む」の番組収録で、なまの被災者をまえにしたときの緊迫感はいつでも圧倒的。
このことをどう説明したらいいのだろうか。
(2014年6月17日)