【往還集130】14 山田消児「佐村河内になりたくて」

優れた評論を読んだときの充実感、爽快感は優れた作品を読んだときのそれと全く変わりない。つまり評論も作品である。
山田消児「佐村河内守になりたくてーー物語の中の作品と作者――」(「ES」第27号)はそんな評論だった。
佐村河内(さむらごうち)といえば、耳の障害、ヒロシマ、それに震災をとりいれて商品価値を高めたミュージシャン。全聾でないこと、ゴーストライターの存在していたことがばれて、世情を波立たせた。
山田は情報という付加価値と作品としての自立の問題に焦点をしぼっていく。短歌の主流は自分語りの歌にあるから、他人事ではない。

「物語が作品の外側ではなく内側にあるのなら、短歌は自分語りだという世の人々の先入観を利用して、合法的に佐村河内になることだってできるのではないか」

この一文が示唆に富む。短いスペースでは紹介しきれないので、関心のある方は原文に当ってみてください。
(2014年6月17日)