随分長い間和歌の世界が苦手だった。『万葉』はともあれ、『古今』『新古今』になるとお手上げ。雲のうえの貴族文化、技法の限りを尽くす歌。これらのどこがいいのか理解できなかった。
そういう自分の目を開かせてくれたのは、錦仁氏のこれまでの、数々の和歌論だ。
その一つ、「和歌の思想―俳句を考えるために」(『俳句の詩学・美学』角川学芸出版)。
「和歌は自然をとりこんで人間を表現する。そして、自然は人間をとりこんで表現される」「見ている対象と見ている自分が一体化している。自然と人間が重なり合って、区別しがたくなっている」。
掛詞や縁語が生きるのは、こういう認識があったのであり、そこには世界を認識する哲学さえあったのだという。この巨視的とらえ方に、文字通り目を開かされた。技法は技法として固定化される以前、その源には哲学が生きていた。
私は、和歌の世界を虚心に読み直してみようと思い立った。
(2014年6月9日)