【往還集130】5 「震災を詠む」・続

ホテルに迎えに来てくれたバスで会場へ。「NHK公開復興サポート明日へin福島」という規模の大きい催しだから、人出は多い。入口には「原発を正しく伝えよ!」の横断幕を持った人たちが。原発推進に向けて都合の悪いことは隠そうという動向なきにしもあらずだから、当然のこと。
「震災を詠む」の開会は1時。会場はあふれんばかりの参加者だ。1、2回とも違う雰囲気を早くも感じる。
それもそのはず、避難を余儀なくされた人たちが一杯来ているのだから。

「朝の日が部屋一杯に入り来て畳八枚深呼吸する」(鈴木一功)
「わが土地に結界をなす柵ありて風は静かに往き来してをり」(山田純華)
「母を乗せ飯舘村への道すがら幾度もつぶやく「仕方がないし┅」」(鈴木里美)

こういう歌がつぎつぎに紹介され、作者本人が背景を語る。その語り口が静かな分、一層胸に沁み入ってくる。
今回は、やっぱり福島でやってよかった。
(2014年5月26日)

【往還集130】4 「震災を詠む2014」

会場、いわき明星大学の構内のにぎわい。
会場、いわき明星大学の構内のにぎわい。

昨日は、ハートネットTVの番組「震災を詠む」の収録。3回目になる。今回の会場は、いわき明星大学だ。選者は佐伯裕子さんと自分。ゲストは生島ヒロシさんと竹下景子さん。 
いわきへは何度も仙台発の常磐線で行っている。ところがまともに原発地帯を通るため、完全に寸断されてしまった。郡山から磐越東線に乗り換えなければならない。しかも2時間に一本の運行だから、収録時間に間に合わせるためには前日に入ることになる。
私は、この企画に1回目から関わってきた。3回目の話が出たとき、こんどはぜひ福島でと提言。それが実現したのだから喜ぶべきところ、原発事故の影響は現在進行形の状態にあることを、交通手段でまず実感することになった。
けれど車窓には、あふれんばかりの緑、山フジの紫、そしてツツジの紅がつぎつぎにつづく。
福島の自然は、こんなにも、こんなにも豊かで美しく、そして静かだ。
(2014年5月26日)

【往還集130】3梶原さい子『リアス/椿』(砂子屋書房)

梶原さんの歌集がやっと出た。本人の勤務先は宮城県内陸の岩出山だが、生家は気仙沼市唐桑半島にある。
時間と共に震災はどんどん忘れ去られようとしている、それへの抵抗のためにも早くまとめたほうがいいと勧めてきたが、やっと刊行にこぎつけた。

「ああこれが夢といふものどこまでも瓦礫の道を歩いてゆきぬ」
「それでも朝は来ることをやめぬ 泥のひ乾るひとつひとつの入り江の奥に」
「その土地でなければならぬ人たちの苦しみ銀杏の葉はどつと落つ」
「あまたなる死を見しひとと見ざりしひとと時の経つほど引き裂かれゆく」

梶原さんの生家は神社だ。漁村の神社は農村とはまた別の濃厚さがある。そこに生まれ育ち、海の感覚をよく知る貴重な歌人だ。
私もそうだったが、1冊にまとめる気になるまでには3年を要した。皮肉なことにこの3年間は、〈見た〉人と、〈見なかった〉人の間に、溝が生じる時間でもある。
(2014年5月17日)

【往還集130】2 この無力感、虚脱感

閖上にまだ残っている、津波被害の建物。

荒浜へ、そして閖上へ。
津波に破壊された家屋の処分は、かなり進んでいる。土台石はまだまだ残っているものの、整地がはじまっている。防潮堤工事も真っ盛り。一般人は「立入り禁」で、海辺へ行くことができない。
事は先へ先へと勢いづき、まるで前のめり状態だ。
この勢いを、喜ぶべきか?たぶんーー。
だのにこの頃、妙な無力感、虚脱感に襲われる。「震災のことはもう終わりにしようじゃないか」という声がする。「世の中はもう別の事で忙しいんだ」という声も。
それは、そうなのだ、3・11はもう、過去でしかない、いつまでもとらわれていていいわけがない。
だのに、生死の境に立ち会い、虚と実の区別のなくなったあの日に刻印されたことは、今でも身の内に沈澱したままだ。世の動向から見放されていくこの感覚。どんなに語っても、伝わることはないだろうという無力感、虚脱感。それから逃れられないでいる。
(2014年5月8日)