

その数、約340人。

三陸自動車道を「河北」で降りて、北上川沿いの長い道を走る。
春の水は、穏やかで豊かだ。護岸工事が各所で進み、瓦礫の散乱していた田畑もすっかりきれいになった。
やがて大川小学校。
この周辺も、校舎をのこして整地されようとしている。杉山の近くには新しい慰霊碑が建立され、ブロンズ像も加わっている。
さらに学校の裏手には、篤志寄贈の観音像があり、「雨ニモマケズ」の石碑も設置されている。
ここにも、3年の歳月のもたらした変化がある。
慰霊碑には、この地区の物故者全員の氏名が刻まれている。児童74名、教職員10名も含めて、約430名。地形からすると北上川河口に近いが、海は全く見えない。それが津波被害を大きくした。
報道関係はこれまで、とかく小学児童の悲劇に焦点を当ててきたが、全体の犠牲者はすさまじい数だったのだ。
3年の歳月は、そういう相対の目も開かせてくれる。
(2014年4月15日)