今朝の『眼蔵』書写は「菩提薩捶四摂法」の「(〇五)」。
「しかあれば怨親(をんしん)ひとしく利すべし、じた自佗おなじく利するなり。」
石井恭二訳では「このようであるから怨みのある人にも親しい人にも変わらずその利益を計らなければならない、その行いは自他にとって同じ利益となるのである。」となる。
これ、どこかで聞いたことあるのでは?
そう、「マタイ福音書」。塚本虎二訳『新約聖書』では、こうなっている、
「敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。」
仏典や聖書を読んでいると、思いがけないところで共通点に出会い、びっくりする。もっとも「マタイ」では「あなた達が天の父上の子であることを示すため」と付け加える。道元では、こうした心ばえを持てば「心身は草木や風や水にも自づと活らいて、変わることはない」とする。
そこで問題は、神と自然は対立し、いがみ合うほどに違うのだろうかということなのだ。
(2014年3月27日)