【往還集129】23 事実だけが

ドストエフスキーの『罪と罰』は20代で読んだ。
今回また、ちょっとしたきっかけで読んでみて、かつてはほとんど重視しなかった個所を見つけた。
2人の老婆を殺害したラスコーリニコフが、シベリアへ受刑に向かう。恋人のソーニャも後を追う。彼女はラスコの妹にあてて、毎月手紙を書き送る。その文面はそっけない。なぜなら感情を交えず、事実だけ書くからだ。はじめのころ、不満を覚えた妹ドゥーニャは、やっと気づく。

「そして、読み終わるころになって、不幸な兄の姿がおのずと浮かびあがり、明確に描きだされるのだった。すべてが確実な事実である以上、ここには誤りの生れようがなかった。」(江川卓訳)

ここに感応したのは、震災詠の問題に直面しつづけてきたからだ。直近のものは事実しか描けなかった。感情を交えるは、距離をおいた人たち。それらのほとんどが、こちらの心に届くことがなかった。 
(2014年3月14日)