2011年3月11日より、3年。
14時46分、海の方向へ向かって黙祷する。
すると、昼間忘れていた耳鳴りが急に湧き上がり、「この3年で震災はみんなのものからひとりのものになったのだよ」という声になる。
3年は、一つの大きな区切りだ。マスコミの特集も、この日に向けて、勢揃いしていく。そのいくつかを見て改めて気づくのは、傷痕、それは生身のひとりひとりのものということだ。
死者の数、行方不明者の数、関連死の数、避難者の数。数を目にしていると、いつの間にか具体としての人間を忘れる。類にくくってしまう。どのひとも、家族を、家を、故郷を失ったひとりひとりだというのに。
個々の持つ痛切なかなしみを、3年の歳月はどんどん底へ沈めてしまう。
ことばにとっての課題は、ここからはじまると私は思ってきた。ひとりに立ち、立ちつくし、そこからどれだけ人間の真底をつかみうるかだと。
(2014年3月11日)