【往還集129】18 分断しながらの連帯

東日本大震災から3年。この区切りをまえに、各方面で特集が組まれている。短歌分野でも、また。
私が読みえた範囲で、感銘を受けたエッセイをあげてみる。
梶原さい子「三度目の新年」(「短歌研究」3月号)、川野里子「言葉の「全電源喪失」の後を」(同)、松村正直「震災から三年を経て」(『短歌』3月号)。
梶原さい子は、気仙沼市唐桑の出身で、犠牲者には親戚、知人が何人もいる。短歌を作りはじめるのは一週間後。そのときの思い、「本当に多くのものを見てしまっていたのだ」が胸に迫る。さらに作りはじめて短歌の表現形式の特性に気づく、短さ以上に定型であることがことばを書かせたと。また、3年目になろうとして、震災は人によって全く違う、経験も状況も考え方も、1人ずつが分断されていると実感する。そのうえで「分断しながらの連帯」の可能性を問うている。
大震災が付きつけた大きな問いは、これだ。
(2014年3月6日)