【往還集126】3 「原発暮らし」

原発事故のさ中、直下の現場に留まって作業を続ける多数の人がいた。退避の大混乱は報道としても伝わってくる。
だのに直下のことは何一つわからない。その大きな欠落に割り切れなさを覚えていたのは、私だけではなかろう。
最近になって、やっと伝わってきた。そのひとつ「原発暮らし」は第58回短歌人賞受賞作で、「短歌人」1月号に発表。作者高橋浩二氏は某原発の勤務員だという。

「胸に背に逃れられない圧迫感防弾チョッキに縛られており」
「モニターに映る幾多の柔らかき唇(げんぱつはんたい)と動けり」
「デモ隊の帰りし後の阻止柵に折鶴ひとつ置かれていたり」
「秘匿事項多き原発業務にて口止め込みの給与明細」
「デモ隊も通りし道の奥にある原発へ長き通勤の列」

善悪、好悪を別にして、人間が在る限り、人間の心も有る。その実像をこそ知りたい。自分は、安保時の警察官筑波杏明の歌を思い起こしていた。
(2013年1月2日)

【往還集126】1 1月1日

冬枯れの山林から見える湖の輝き。

一夜、薄雪が降る。さらに荒れる予報だったのに風がやみ、日差しいっぱいの新年になった。
こういうときの湖と山は、静かなうえに温もりもある。正月そうそうニンゲンだっていないだろう。
というわけで月山池へ。
ところがなんと、釣り人が20人もいる。新年そうそう殺生とは。もっとも家にごろごろしているよりは、水を眺めていたほうが精神衛生にはいい。
ニンゲンを避けて山へ入る。急坂をのぼるにつれて、木の間に湖の輝きが広がり、はるかには白銀(しろがね)の蔵王も浮かびあがる。薄雪がとけて、茶褐色の落葉が湿り気を帯びる。どこかでツピッツピッと小鳥の声が。あとは無音。あくまで無音。これが冬枯れの山だ。
そのときクマが!とでもなれば、俄然ドラマがはじまるのに、あんなに出没をくり返した彼らもすでに冬眠中。
で、なにごともない、ただの平凡な冬枯れの山。この平凡が本年のはじまりです。
(2013年1月1日)