【往還集128】42 全山黄葉

町内の中央を西から東へと貫く通りは、桜通り。ヤマザクラの並木が坂のうえまでつづく。
その先には蕃山が連なる。変哲もない普通の山ながら、四季の移ろいを手近にすることができる。
師走目前の今日、そこへ行ってきた。春先の淡緑(あわみどり)、夏の深緑(ふかみどり)が、秋を深めるにつれて赤、茶に、ついには全山赤銅色(あかがねいろ)になる。
日本風土には四季があり、歳時記がある。この当たり前のことに、反発していた若い日がある。人間にとって大事なのは個の確立であり、思想である、だのに日本人は季節とか風流にうつつを抜かす、主体性に虚弱な民族であるなどど考えた。なかんずく歳時記は、個を埋没させるシステムに過ぎないなどとまで力んだ。
だのにいつしか四季の移ろいと自分の呼吸が、重なるようになってきた。
なぜだろうか。
全山の黄葉に向って、自分の全身を開く。すると全山も、全山をもって開いてくれるようになってきた。
(2013年11月29日)