【往還集128】43 栗木京子『水仙の章』(砂子屋書房)

この歌集の題名にだまされてはならない。清純なロマンどころか、懐に隠されているのは冷徹な刃だ。

「亡き人との親交誇る歌並べど殉死しますといふ歌は無し」

これは河野裕子の追悼歌を目にしての歌だ。有名人が亡くなる、追悼特集が組まれる、自分がいかに故人と親しかったか、その死がいかに痛手だったかを語るのが通例だ。
それに対して栗木は冷えたまなざしを送り、「あなたの親交なんて、その程度じゃない?」とつき放す。追悼特集は親交度のひけらかしのようで、しばしば滑稽なのは確か。
けれどふつうは「殉死する気もないくせに」とはいいたくてもいわない。栗木はいう。
とはいえ刃を他人に向けた途端、返り血を浴びることを栗木は知っている。だから

「とは言へど偲べば出づる涙あり思ひ出は緋の小さき宝玉」

とうたう。「とは言へど」によって冷徹な刃を、辛うじて回収する。
ここが賢く、少しずるい。
(2013年11月30日)

【往還集128】42 全山黄葉

町内の中央を西から東へと貫く通りは、桜通り。ヤマザクラの並木が坂のうえまでつづく。
その先には蕃山が連なる。変哲もない普通の山ながら、四季の移ろいを手近にすることができる。
師走目前の今日、そこへ行ってきた。春先の淡緑(あわみどり)、夏の深緑(ふかみどり)が、秋を深めるにつれて赤、茶に、ついには全山赤銅色(あかがねいろ)になる。
日本風土には四季があり、歳時記がある。この当たり前のことに、反発していた若い日がある。人間にとって大事なのは個の確立であり、思想である、だのに日本人は季節とか風流にうつつを抜かす、主体性に虚弱な民族であるなどど考えた。なかんずく歳時記は、個を埋没させるシステムに過ぎないなどとまで力んだ。
だのにいつしか四季の移ろいと自分の呼吸が、重なるようになってきた。
なぜだろうか。
全山の黄葉に向って、自分の全身を開く。すると全山も、全山をもって開いてくれるようになってきた。
(2013年11月29日)

【往還集128】41 陣崎草子(じんさきそうこ)『春戦争』(書肆侃侃房)

陣崎は1977年生まれ。絵本や小説もやっている。したがって短歌に身をしばりつけているのとは違う自由さ柔軟さがある。
もっとも短歌は伝統詩と定型詩の要素を負っているから、いつかは伝統詩であることにぶつからざるをえない。
その困難さにまだ対面していない柔軟さが、この歌集の魅力でもある。

「どうやって生きてゆこうか八月のソフトクリームの垂れざまを見る」
「人殴ったことだってある手のひらをジェットコースターにむけてふってる」
「ええとても疲れるしとてもさびしいでもクレヨンの黄はきれいだとおもってる」
「人類の滅んだ世界に王として生きてはあふれゆく植物よ」

これらに感じられるのは、対決の対象すらはっきりしないまま、生の世界へ、そして宇宙へと投げ出された生き難さだ。当然ながら自分を定位する場所も見つからない。
そういう透明な不在感が、陣崎の歌のはじまりとなっている。  
(2013年11月28日)

【往還集128】40 堂園(どうぞの)昌彦『やがて秋茄子に到る』(港の人)

 文体には世代感覚がある。同時代の空気を吸う同士は、同じ言語感覚を無意識に身に付け共通の文体を手にしていくから、互いに共鳴し合える。
ところが世代の断層ができると了解困難になる。そういう事態がはじまったのは穂村弘あたりからだった。ましてやさらなる新人の作品は、ほとんど了解不能になる。自分も例外ではない。
ところがどうも気になる歌だなあとノートし、時間をおいて再読していると、なにかがじわりと伝わってくる。堂園の

「ベランダに冬のタオルは凍り付きあなたのきれいな感情を許す」
「祝祭の予感を胸に春の影重ねてさらに濃い影を呼ぶ」
「見上げると少し悲しい顔をして心の中で壊れたらくだ」

などがそうだ。生感覚の薄さ、そのあやうさを自覚しながら、どんな一歩も踏み出すことのできない在りよう。
これもまた新しく、大きな困難だ。歌の文体はその感覚に密着して生まれている。
(2013年11月28日)

【往還集128】39 池本一郎『萱鳴り』(砂子屋書房)

池本氏は1939年鳥取生まれの「塔」所属の歌人。その第6歌集である。
池本氏の作風は、ごくふつうの日常に素材を得ながら、ちょっと角度をずらしてうたうところにある。その「ちょっとずれ」から思いもよらない表情が浮かび上る。そしていうにいわれぬ人間の機微やおかしみもにじみ出る。

「留守電にうまくしゃべれぬ主なわけ壁がなければそこに立てない」

電話をする、すると「ただいまるすにしております」の音声が流れる。電話は相手がいるからこそ、こちらの声も反響する。相手不在のときはそれこそ壁がないと同じこと。こういう心理を巧みにとらえている。

「名は体を表すという例外のこれは最たりバ馬ケツ穴というは」

バケツはもともとバケットから転訛した語。それに馬穴の漢字を当てた。馬の穴とはなにか、尻の穴?どうみても体を表しているとはいえない。
このような歌が『萱鳴り』には満載されている。       
(2013年11月27日)

【往還集128】38 楽天パレード

21万人の市民のなかを5台の車がパレードする。

今日は1時から県民会館で宮城県短歌賞・歌人の集い。
ところが楽天祝賀パレードが重なってしまった。車ではとても行けない。8時に家を出、バス、列車を乗り継いで仙台駅へ。
降りたとたん、早くも異様な雰囲気。引っ切り無しの人出。
県民会館へ行く途中、自分も観客のひとりになってパレードを待つことにした。早暁から陣取った中学生たちは、座り込んで弁当を食べている。街筋は21万人で埋め尽くされた。事が起きれば大惨事になりかねないと、ヒヤヒヤする。
やがてスタートの11時、5台の大型バスがやってくる。分乗した選手たちが手を振る。「まーくーん!」「ぎんじー!」「おかじまー!」と黄色い声が弾け出す。
「ありがとー」の声が怒濤となって上がる。
朝雨の消えた天空には、イチョウとケヤキの黄葉がいっぱいいっぱいに舞う。
30分の大祭典はこうして、大歓喜の余波を残しつつ終わった。
(2013年11月24日)

【往還集128】37 国益を越えるには

原発の処理があまりにも不十分だというのに、首相が海外で原発セールをやっているのには呆れ果てる。「日本の技術力はトップクラスです」などと恥ずかしげもなくうそぶく。売れれば莫大な金が入る、日本経済は上向きになり、国益にもかなうという論法。
国家である限り、国益を守るのが当然と考えられてきた。それが最近、ひどくうっとうしい。
なぜなら一国の利益を守ることは、他国を貶めることにつながるという構造が見え見えだからだ。
この問題とどこかでつながっているかもしれない発言を見つけた。加藤典洋「我らの狂気を「生き延びる」こと」(『3・11』岩波書店)。「世界に対し、日本はどうふるまうべきか」という企て、姿勢が求められているというのだ。
一国的な関心でも利益でもなく、この国の叡智を傾けて世界へ、地球へ立ち向かう、そういう道筋をどのようにして構築していけるだろうか。
(2013年11月23日)

【往還集128】36 笑うこと、笑わないこと

私はファッション誌をよく見る。もしかしたらデザイナーになったかもしれない自分を、今になって慰めるためでもある。
そんな折にこれはどういうことかなと「?」の湧くことがある。雑誌といっても、モデルが一貫して笑うのと、一貫して笑わないのがある。「CanCam」は一貫して笑う派。「装苑」は一貫して笑わない派。その中間もあって「Oggi」は半々ぐらい。
この違いはショー性を前面に出すか、服飾そのものに重きをおくかにある。若い世代向けには明るさ、華麗さが欲しいから、笑顔をふんだんに詰め込む。自然で美しい笑顔を作るのも芸のうち、才のうちなのだ。
ところが終始笑顔に付き合わされると、さすがにこちらも疲れてくる。人生、こんなにいいことばかりじゃないでしょう、影の面だってあるでしょうなんて話しかけたくなってくる。
モデルさんたちは、あいかわらず素敵な笑顔でいるだけ。

(2013年11月22日)

【往還集128】35 『「AV女優」の社会学』(青土社)

はだかをさらす、ましてや性行為そのものをさらすのは、一昔まえはだまされた女性のやることと考えられていた。
ところが今や出演希望者がいくらでもおり、しかもどこへ出しても通用するような美女が揃っている。
この世界に社会学の鈴木涼美(すずみ)が切り込む。これまでの論議のほとんどは、性の商品化の現場の魅力に無自覚だった、AV女優にはきらきらした部分があると鈴木はいう。
この「きらきら」への感応が、論考のエネルギーになっている。
もっとも女優たちに一様につきまとう不安がある。それは「親バレ」と引退後の生活のこと。AVと風俗の違いは、AVが映像として流布し、後々まで残りつづける点にある。そのリスクも高い出演料には含まれる。
鈴木はAV自体への倫理的判断を最初から脱落させ、この世にAVがありAV女優がいることから出発する。こういう風通しのいい観点が、やっと出て来た。
(2013年11月21日)

【往還集128】34 堀之内にて

宮柊二の生家。現在も「丸末書店」の看板がある。
柊二の姉の務めていた学校跡地。「姉と瀬鳴り」の舞台。

11月17日(日)は魚沼市の宮柊二記念館全国短歌大会。
前日に上越線浦佐に降り、館長の小島さんに堀之内を案内していただいた。
『群鶏』には柊二の故郷がよく出てくる。論を書き進めながら実際にその風土に触れたい気持ちはずっとあった。反面、言葉での造型と実際の風物には違いもあるから、落胆したときのダメージは大きい。どちらになるか不安もあってこれまでは訪れなかった。
とはいっても、いつかは現場に立たなければならない。今回はそのチャンス。
自分がどこよりも見たいのは「姉と瀬鳴り」に描かれる、姉の勤務していた学校だ。

「もの言はぬ姉は三和土(たたき)に降りたちてふと対ひをり音なき山に」

この場面。学校跡地に案内してもらった。町からかなりはずれた郊外。当時の木造校舎はないが校庭に立つと目のまえには、枯れ色の低山が連なっていた。
その閑静さ。
ここを起点にして歌は翼を得ていった。
(2013年11月18日)