【往還集128】29 逃げても恨まない

「朝日新聞」連載「プロメテウスの罠」の今日の題は「医師、前線へ12」。2011年3月15日の福島医大の緊迫した空気が描かれる。
救急医長谷川有史は最悪のシナリオを想定する。同僚たちも「許されるなら病院を離れたい」と本音を口にする。

「結局、病院に残るか否かは個人の意思に任せることにした。誰かが逃げても恨まない。そう約束した。」

と書いている。
私はここに表明された態度に、人間としての最高の在り方を見る。長い時間をかけて積み上げてきた文化(倫理や哲学も含む)がゼロになったとき、人は一人に蓄えられた〈あるもの〉によって決断するほかない。そのため自分が犠牲になり、他の人が生きのびても恨みっこなしにしようというのが、岐路における唯一の倫理だ。
あの日、ほんのわずかの時間の内に、無数の人々がそういう決断をした。この壮大なドラマだけは、風化させるわけにいかない。
(2013年10月30日)