議事堂前にあふれる脱原発のデモ。小程度とはいえ放射能被害圏にいる私も、心はデモの一員だった。
ところがあのとき、烏合の衆として嫌悪感を示す人たちがいた。そのことがずっと気にかかっている。原発の恩恵を受けているくせに東電だけを悪者にして、〈脱〉運動に迎合しているというのだ。
嫌悪者には、戦中派がいる。
梯久美子は「池田武邦」の章で、「当時の世の中では、戦争にかかわった人間イコール悪人でした。」と池田の弁を記している。特に兵士となった少し上の世代に対する、一歩の差で出征を免れた下の世代の非難は厳しかった。「命を捨てる覚悟のなかった者たちがいまになって何を言う」と内心怒っても、反戦こそが是となった世の中では太刀打ちできなかった。
このときだ、一夜にして正義面に転ずる多数への嫌悪感を刻み込んだのは。
嫌悪感の源にある、大衆迎合への危機感。それは冷静に理解しておきたい。
(2013年9月6日)