トラック島といえば、戦中の前線基地。敗戦が迫るにつれて食糧輸送が断たれ、多くの日本兵が餓死していく。
金子兜太は海軍主計将校として、そこへ赴いた。上官に矢野武主計中佐がいて、金子に句会をやることを奨める。参加者にはイモ飯のライスカレーがふるまわれたという。
私はこのことを、かけはし梯久美子『昭和二十年夏、僕は兵士だった』(角川書店)で知った。はじめは海軍だけだったが、陸軍でも開くようになる。
「無駄なものを全部削ぎ落とし、意味だけ追い求めれば、生きるエネルギーも同時に削がれてしまうことがある。」極限状態でも句会をやめない連隊長について、梯はこのように記す。
私は宮柊二の場合を思い浮かべる。柊二も上官から歌の話をしてはと奨められが、彼はしなかった。
もしかしたら前線での歌会は無理かもしれない。句会だから開けたのかも。両形式の思わぬ差を、いきなり考えはじめた。
(2013年9月3日)