新日本歌人協会の「夏季セミナー」が、昨日仙台会場で開かれた。私も招かれて、「被災圏と短歌表現」の題で話をしてきた。会場一杯の参加者の熱気に感応しつつ、われながら充実したひとときだった。
質疑になって、「遠くにいながら震災詠を作り、割り切れない思いをしているが、この問題をどう考えたらいいか」という問題提起があった。
私の考えは以下の通り。「当事者と非当事者は要するに被災地からどれだけ距離があるかによる区分けですが、私は全く問題にしません。直接関わらない所にいても、心痛を覚えることはあるわけですから、歌になっても不思議はありません。この問題を最も鋭く突きつけられるのはむしろ被災圏においてです。一番の当事者は犠牲者にほかならない。たまたま命長らえたものが詠うのは生者の傲慢ではないか、無念の沈黙に応えるほどの作品となっているかどうかを問われつづけています。」
(2013年9月2日)