【往還集127】34 ブドリのこと

仙台文学館の講座「宮沢賢治を読む」も7回目を迎える。
今年とりあげるのは「グスコーブドリの伝記」。目下、文献を一山積み上げて奮闘中だ。
なにしろ、毎年会場満杯になる受講者の皆さん、極めてレベルが高い。こちらがたじたじとなる質問が続出する。
とりわけ被災圏では、「ブドリ」に特別の思いがある。ブドリが身を賭して火山へ行き、若い生命を失ったことをどう考えるか。
原発事故をめぐっても、〈死を覚悟して作業したからこの程度ですんだ〉という意見のある一方、〈死者を出すなら全員退避すべき、そのためのリスクは国民が負担するほかない〉という意見もある。
「ブドリ」も、この論点を回避するわけにはいかない。
けれど、どちらか一方を「是」としてすますことができるだろうか。当然ながら過去の文献には、抽象的にしか触れられていない。では、どうするか。素手で考えるよりほか、どんな方法もない。
(2013年8月26日)