北川透氏が〈ひとり雑誌〉「KYO 峡」を創刊した。
北川氏の最初の個人編集誌「あんかるわ」は1962年創刊、90年に廃刊。「路上」は「あんかるわ」の存在に随分助けられた。
その北川氏、78歳になって個人誌再開だ。「最後の根本的問題」を早速読む。吉本隆明晩年の原発発言に真向かうその批評性には、少しもブレがない。
吉本の『高村光太郎』の最後には、光太郎の「生命の大河」が引用されている。それも取り上げている。
自分もこの本は読んでいるが、引用詩の記憶がない。
改めて読んでみて、光太郎が50数年前にこんな詩を書いていたのかと、驚いてしまった。しかも生前最後に書いたもので、1955年12月19日に作り、56年1月に「読売新聞」に発表したものだという。
北川氏がこの詩を想起したきっかけは、築山登美夫「吉本隆明と原子力の時代」(「飢餓陣営」38号)だと記している。
(2013年8月20日)