私の22年前は、教師として最も忙しく、充実した時期だった。クラス担任、水泳部顧問、組合書記長その他諸々。昼休みになっても椅子に坐る暇がない。父母面談、家庭訪問もくり返す。
そんななかで父母あての通信を発信する。自分と親は同年代、生徒=息子・娘に困っているのはどちらも同じ。だから親たちと共同戦線を張った。
おかげでどんな難事も潜り抜けることができた。
そのときの記録が『学校はどうなるのか』(學芸書林)だ。「海の輝く日」というマンガも添えてある。
当時は外部にいる教育評論家が、自分の手を汚さずに学校批判をくり返し、また弁舌の立つ一部の教師がマスコミにもてはさされていた。それらのウソがよくわかっていたから〈ただの教師〉として生き、書くことを貫いた。
そういう自分の原点を久しぶりに思い出させてくれた。
かつて18歳、いま40歳の皆の、これからの人生に幸いあれ。
(2013年8月10日)