【往還集127】22 短歌を世界遺産に

富士山がとうとう世界遺産に。遺産とはいっても遺物化するのでなく、今後も生き続けるという条件だ。
ところで、かねてより「短歌を世界遺産に」と考えて来た。そのことを某氏に話したら「それは短歌が亡びたあとのことだろ」と一蹴された。「いや、未来へと生きる意味を含んだ遺産なんだ」と、そのときは強くいえなかった。いまは、いえる。
私の構想する短歌の起源は、国家生成時代をはるかにさかのぼる。文字ができる以前の、声の文化まで。短歌は現在でも声の要素を含み、なおかつ現在的表現としての生命も持つ。こういう表現形式、世界の他にあるだろうか。しかも声の文化は人類の祖をも呼び起こす。そこも視野に含めて、日本語の生成、民族性、万・古・新、近世、近代、戦時、短歌否定と再生、現代へと辿る。
申請書はおよそ1000巻の量。短歌をやるなら、これぐらいの覚悟は持ち続けたいではないか。
(2013年7月29日)