【往還集127】7 結城哀草果(ゆうきあいそうか)

結城哀草果は1893(明治26)年山形生れ。80歳で亡くなるまで農民歌人であり、茂吉の忠実な弟子でもあった。
私は長い間全歌集を所蔵していたが、まともに通読したことがない。初任校若柳高校で講演会を開くことになり、校長に講師は誰がいいかと打診された。私は某氏を候補にあげた。が、校長はなぜか哀草果を呼んだ。
彼はモンペ姿で壇上に立ち、わけのわからない話を1時間半し、生徒は飽き飽きして騒いだ。
その印象を引きずっていたので、まともに読む気になれないでいたが、「山麓」に入ったとたん、魅了されてしまった。農民でなければ歌にできない世界、しかも現在ではほぼ失われた自然と人間のテーマが展開される。

「藁打ちを終へて出づればこの里のともし火消えて月かたぶきぬ」

農閑期の作業は藁打ち。移り行く四季にまるごと身を置いてうたう。
これから数カ月は哀草果の世界にひたっていく。
(2013年5月21日)