火野葦平を読む必要が出てきて、『現代文学全集45』(筑摩書房)の高橋義孝「人と文学」を開く。そのなかに「手紙の秘密を知っているのは、もうこの私一人になってしまった。」とある。さらに「歴史の大きな流れの中には、こういう風にいわば闇から闇へと消えて行く事柄がいくらもあるのではないか。」とある。こういうことは、この世にいっぱいあると自分も思っている。同時に葬ってしまうには惜しい事柄もある。
先日の鬼房の会で自分が紹介したのも、その一つ。関係者はどんどん消えてゆき、記憶するのはごく限られているから今のうちに紹介しておこうと思った。
鬼房は病気になると、地位にすがりつくのをやめ、新聞の俳句選者も降りると自分で申し出た。さらに後継者を推薦するに、結社の弟子を第一にはしなかった。彼が社会の低い所に生きてきたからできた、みごとな退き方だった。
12年まえのことである。
(2013年4月2日)